『やはらかに 人分け行くや 勝角力(かちずもう) 江戸期の俳人、高井几董の作品。土俵の上の気迫みなぎる勝負は、相撲の醍醐味だ。だが勝負師のたたずまいは春風駘蕩とした魅力がある。』
『勝負のあと、懸賞金に手刀を切る。その所作には“心”という字を書き、ありがとうございますの気持ちを現している。』
『太宰治の著書に、乱暴者の相撲取りが登場する。相手を突き飛ばし、張り倒し、ケガ人の山を築いて「相撲は勝ちゃいい」とせせら笑う。だがついに自分も荒技で転がされ、あばら骨を折って落ちぶれて死ぬ。』
数日前の天声人語の内容を抜粋した。
遠い昔から「勝った後の美学」を求める心が、きっと日本人にはあり、相撲文化として現在に至る。たとえ勝利者がプロの選手であっても、悪態が日本人の心に受け入れられないのは、今年の著名な二人が立証してくれた。見習わぬ手はない。しかしである。荒ぶる心を静めて、「やはらか」な力持ちに戻っていく、それが苦手な大人も増えていることが気にかかる。
週末はいよいよ、6年生にとっては最後のティンカーベルズの行事である。明日は“親子バレー”と“卒団式”。そこに好プレーで見せる笑顔があっても、相手を威嚇するガッツポーズはない。
天使には笑顔一杯と、ほんのちょっぴりの涙が光り輝く。