「継続する」は時間的な概念を表す言葉だが、「徹底」は間口が広く、内容の深さを感じさせる言葉。この2つの行為が掛け合わされ、本当に行われたら、スポーツに限らず仕事も趣味もひとかどの人物になれるに違いない。反対を表す言葉に「ほどほど」、「中途半端」がある。
個人のレベルに当てはめた場合、バレーボールの練習で新しい技術を学ぶ場合、塾頭からポイントの指導を受けても、後日普段の練習に戻った時、「徹底」できてはいないことが多いのでは?試験前日、漢字や英単語を覚えても、「徹底」した暗記ではないため、答案用紙を前にした時、“偏”や“スペル”の間違いが多くなる。
組織に目を移しても、ニュース番組で連日放送されている食品に関する偽装は、企業倫理の「徹底」がなされていない結末か?大小どのような組織であっても、トップが何事に対しても「徹底」さを追求する姿勢を見せることで組織内が改善され、将来の信用や利益を得ることはこの事件から学べるだろう。
ある雑誌によると、利益が上がらないため、人事でも次々と販売の責任役職を入れ替え、短期間で結果が欲しいために、担当者は悪の温床に手を染めていってしまった内容を記していた。トップが、目先の利益でなく将来を見通し、「徹底」して有望なものの可能性を信じてポストを与えることができていれば、また違った結果になっていたのではないか。
徹底比較、徹底分析、徹底解明、「徹底」が頭につく語句はたくさんある。裏をかえせば、それだけ「徹底」ができない証だろう。「ほどほど」、「中途半端」は確かに楽だから。
個人でも組織でも、全てに「徹底」できることは不可能だろうし、息も詰まってくるだろうが、日常の生活の中でここだけは譲れない「徹底」さを持たないことには、「いい頃合い」「良い塩梅」よりも、「堕落な楽しさ」が勝ってしまう気がする。
すなわち「徹底」するとは、今は我慢しながら、未来に何かを期待して得ようとする行為だと思う。