早いもので月がかわった。お盆の月でもある。草野塾頭のブログでも、
「墓参り」について語られている。小生も11年前に父を亡くし、八月が特別な月となっている。
小さい頃は祖父母の家に親戚が集まり、お盆休みに墓参りをした記憶がある。ただ深い意味など考えるはずもなく、いとこに会って遊ぶことが楽しみであった。そのような習慣が、現在の先祖に対する考えの礎になっているのは間違いない。
さて、お盆。正しくは『盂蘭盆会(うらぼんえ)』と呼ぶ。関西では月遅れの八月十五日を中心にお盆をつとめる。
七日の早朝、お寺に「経木」を受けに行く。先祖や亡くなった人達の精霊を迎えるためである。十三日に迎え盆として、仏壇の前に盆提灯や盆灯篭を灯し、位牌の前に果物や野菜もちろんお花を供える。特になすやきゅうりで作った牛や馬は目を引く。これは先祖の霊が「きゅうりの馬」に乗って一刻も早くこの世に帰り、「なすの牛」に乗ってゆっくりあの世に戻っていくようにとの願いを込めたものらしい。ゆっくり帰る道中、のどが渇かないよう“お茶と”と呼ばれる習わしがある。十四日の朝から夜までの間に七十七回、位牌の前の湯飲みに入っているお茶を入れかえるのである。子供達でも簡単にできる作法であるが、お盆の貴重な体験のような気がする。
屋敷や玄関の角に“三界さん”と呼ばれ、無縁仏をまつる習慣もある。20~30cmの台の上になすやきゅうりで作った牛や馬を置き、麦わら帽子などで日よけを作ってあげる。わが町の田園の住居ではよく見かける“三界さん”である。
十五日の早朝には「送り火」を焚き、霊を送り出す。もちろん墓まで行き、墓参りを行う。
この期間には、子供の頃から楽しみだった行事の盆踊りがある。今ではすっかり夏祭りと化し、出店や屋台のほうが人気で踊り手は少なくなっているようだが。盆踊りの意味については様々な説があるらしく、お盆に戻ってきた精霊を慰め、餓鬼や無縁仏を送るための踊りという説や、お盆の供養のおかげで成仏することのできた亡者達が歓喜する姿を表現したものだとか。
そして二十三日、二十四日の地蔵盆。子供を守ってくれるお地蔵さんをまつる行事。丁寧に行われているところでは、子供のための金魚すくいや抽選会も行われ、小さい頃の思い出となっている。と同時に、地蔵盆が終わると夏休みもあと一週間。夏の終わりを告げる、何となくもの寂しい気分にもなった記憶がある。関東方面ではあまり行われない習わしだと聞いた。
外国から入ってきたイベントは熱心に行うようになってしまった日本人。もう一度、日本の伝統的な習慣・習わしを見直すべき時がきているのだろう。先祖のいない人はいないのだから。