「坊ちゃん」「吾輩は猫である」誰もが知っている作家。そんな夏目漱石について、ある雑誌に次のようなエピソードが。
初めて教室にはいってきた漱石は赤い靴を履いていた。だから「赤靴」というあだ名がつくはずだったのだが、結局つかなかったそうです。なぜか。それは漱石の学力に圧倒されたからだというのです。
漱石はすーっと入ってきて教壇に上がるや、英語のテキストを開いて読み出した。そしたら、その発音があまりに見事で生徒たちはびっくりしたそうです。
その頃のテキストは数学でも何でも原書が多く、日本人の先生はジャパニーズ・イングリッシュで読むわけです。ところが漱石はネイティブに劣らない発音で読む。これに生徒は圧倒されるのです。
個の授業では、続いて級長の彼が当てられ、読んで訳すように命じられる。そこで読んで訳したところ、一カ所だけ訳が間違っていると指摘を受けた。生徒は、この単語は予習のとき、字引きで調べたもので間違いはないはずですと答えると、漱石は「では字引が間違っているから、その字引を訂正するように」と応じたと言います。
こうして生徒たちのあいだには今度の先生はすごいという評判が立ち、「赤靴」というあだ名を引っ込めたというのです。
「この先生すごい」と生徒が感じたところから、師弟関係は始まるのです。生徒が何一つ圧倒されるものがなくて、教育が成り立つはずがありません。そんなもの、形式は整っていても似非教育ですね。
「この先生すごい」まさに「自然体バレー塾」