都会ではすっかり失われてきている言葉のひとつではなかろうか。田舎の年長の世代では、時折聞かれる言葉。
「ハレ=晴=非日常」と「ケ=褻=日常」
ハレとはすなわち“祭り”。一年間の中で「ケ=日常」が続き、区切りがついたところで様々な“祭り”が執り行われる。現在に脈々と引き継がれる“節句”や収穫を祝う“祭”が代表である。
「ハレ=晴れの日」を厳かに迎える、或いは大いに楽しむために、「ケ=日常」の作業・業務、毎日繰り返し行われる日々の活動・労働に、いにしえの人々は大切さや変化を感じとっていたことは間違いないだろう。だからこそ「ハレ」も大切にできた。
現在は商業ベースに乗せられてる風潮もあるため、「ハレ」を作り出すことに懸命になり、多くの人々も「ハレ」を求める傾向がある。「ケ」の中にある平凡だけれども奥深く、小さな変化を積み重ねていく大切さ、を見直したい。
「ハレ」で楽しみ、多くのことに気付き、「ケ」で静かに深く考え行動し、変化を見逃さず積み重ね続けることを楽しみたい。
スポーツもきっと同じか?「ケ=日々の練習」で常に疑問を持ち、考え、「ハレ=自然体バレー塾」でエネルギーを頂きたい。
「ハレ」と「ケ」どちらに片寄っても、生活としては楽しくない。どちらも大切にしたい。気に入った言葉のひとつになった。