TEAM自然体研究会会員用のメーリングリストで、昨日草野塾頭からメッセージが流れた。会員の方はすでにお読みだろうが、会員ではない方のためにメッセージを要約すると、“敗れた時、その瞬間に出る生身の行動が、人間教育を大切にしてきたか否かである”といった内容。
全国大会を目指して、小学生から中高はもとより、実業団も含め一般の社会人まで、トーナメント方式なら勝ち残るのは1チームのみ。確率で考えると、地区大会から始まる予選で2分の1は1回戦で敗れる。2回でまたその半分。実に1、2回戦で日本中の予選参加チームの4分の3相当は早々に敗れるのである。
勝つために練習する、それはもちろん大いに結構。決してそれを否定することはない。ただ勝ち続けることは、至難の業。いつかは敗れることを念頭に置いておくことも大切では。
その時に周囲の人々に与える感激、感謝、感動。これらも敗れた瞬間、急にできるものではない。日頃の指導者の考え方が、選手の行動にきっと現れるだろう。
夏の甲子園、劇的な幕切れになる悲劇のヒーロー。泣き崩れながらその場から動けない。確かにマスコミ受けするひとコマだ。しかし試合後のあいさつに遅れ、審判に催促されては少し青ざめてしまう。
以前には、地元の中学生が、地区予選優勝間違いなしの評判もむなしく敗れてしまった。その後中心選手のひとりが2学期から不登校になってしまったとも聞く。
スポーツが本当に人間的な教育に影響を及ぼすには、やはり大人の意識の変化が一番だろう。