バレーボール専門雑誌99号がなかなか興味深い。よって引用。
他人に教えることのできるものは比較的つまらないものであり、行動に対した影響を与えないように思われます。(中略)行動に重要な影響を与える“学び″とは、自分で発見し、自分のためにいかした“学び″以外のなにものでもありません。(中略)自分で発見したこのような“学び″すなわちわが身に生かされ経験と同化した真実を、他人にそのまま伝えることはできません。このような経験を直接、しかもたいていは熱心に伝えようとすると、これは教えることになり、無益な結果しか生みません。(中略)以上の結果、私は、教師であろうとする気持ちを完全に捨てました。いまでもまだ教えようとすることがありますがそんなとき、少し役に立ちそうに見えるその結果にゾッとします。教えることがうまくいくように思われるときもありますが、教えた結果が何かを傷つけることもよくわかっています。教えられた者は経験を信頼せず、大切な“学び″がその命を失ってしまうのです。そのため、教えた成果は価値がないか、または有害であると感じるようになりました。これまでに教えた事を振り返ると、ほんとうの結果はいつも同じだったように思われます。何かを傷つけたか、あるいは重要なことは何も起こらなかった。正直言って困ったことです。
『ケース・メソッド教授法より
極端な例かもしれないが、面白い視点。