日本史で習った遣隋使。西暦600年に初めて公式に大陸へ遣使として渡った。その後は遣唐使として引き継がれ、最澄、空海も同じ船に乗り合わせたと語り継がれている。
往復の航路は非常に危険度が高く、何とか大陸に到着し先進的なものを学んでも、復路の航海も決して安全ではなかったと想像に難くない。まさに命がけ。運良く生きて帰国し、見聞を報告するだけでも偉業である上に、最澄、空海は帰国後も行動に移し、それぞれが新しい宗教の普及に力を尽くしたことは、最早ご存知のはず。
大昔から日本は先進地に学び、志高い者はその後も行動に移すDNAが綿々と引き継がれている。近代では開国後のヨーロッパ視察団は稀に有名。国内でも時代を越えてヒト・モノ・情報が行き交わり、先進地視察などと名称を変えて今も健在。
いつも時代も成長・発展するための原理原則は同じ。されど言うは易し、行うは難し。