夏の初め頃より、「古典」と呼ばれるジャンルの本に目を通すことを心がけている。中国古典の“論語”を始めとする人間学はもちろん、“源氏物語”や“徒然草”の文学もの、“養生訓”や“黄帝内経”の医療分野と、できる限り幅広く。
当然、原書を読めれば良いのだが、そこは漢文や旧仮名づかいなど、あまりなじみのない文章はすぐに睡魔が襲ってくる(笑)そこで訳本となるわけだが、当然訳者のフィルターがかかっているため、その辺りを読み手が考えながらの読書となるが、これもまた楽し。
ある訳者の前書きに、大変興味深い内容があった。要約すると、「古典」はどうしてもなじみが薄く、食わず嫌いのところもあるが、50歳代の読者の年齢経験対比で考えると、5倍で250年前、江戸時代中期頃か。10倍になると500年前、西暦1500年代初めとなる。50歳代の読者の5分の1の世代が10歳であり、10分の1が5歳であることを考えると、同じ時代を生きる大人と子供になるわけだから、案外身近に感じるのではなかろうかと締めくくっている。
ちょっと強引と思わせる仮説ではあるが、なんとなく納得してしまった。10歳といえば、バレーボールはもちろんスポーツを始め出す年齢。5歳は就学前の元気に動き回る頃。そんな子供達に50歳の大人が「あーしろ、こーしろ」と言ってみても、古典の世界の言葉に聞こえてはいないか。古典に残るようならまだいいが・・・。そんな子供達にむかって「オレの気持ちがわからんか!」と叫んでみても、江戸時代の田舎侍から叫ばれているようなもの。
「古典」はいつも時代を通じても、読み手の心に深くしみわたり、気付かせてくれるもの。大人の曲がった気持ちを、病んだ言葉で吐き出しても、子供達にとっての古典の作品としてはたぶん残らないだろう。